Alone tree in Judean Desert at sunset

オーストラリア、驚異の人口密度

オーストラリアは東海岸沿いを除いて、大陸の大半がアウトバックと呼ばれる内陸砂漠が、ただひたすらに広がっている。
人口密度は1平方キロにたった2人
ちなみに日本は340人ほど。
この人口密度は国土全体の数値だ。

オーストラリアの人口は約2200万人。
そのうちアウトバックと呼ばれる面積にして約95%のエリアに占める人口の割合は、全人口の何%ぐらいになるか知っているだろうか。

1、約43%
2、約12%
3、約5%

実は人口の約95%が東海岸を中心とした海岸沿いに分布されている。
アウトバックにはたった5%、とすれば約110万人しか人がいない計算になる。

つまり正解は3

アウトバックだけに限った人口密度は1平方キロに1人以下となる。

荒涼としたイメージのあるチベット自治区(2.44人)や草原と砂漠の国モンゴル(2人)より少ない。

これは人が住むにいかに過酷な環境であるかを物語っている。

厳密にはアウトバックというエリアの境界線が決まっているわけではなく、内陸砂漠一帯の通称に過ぎない。

上記の数値はWikipediaを参照しているが、
アウトバックの定義があいまいであるため、資料によってこれらアウトバックの数値には違いが見られる。

とはいえ全人口に対する割合はそれでも約2~5%という範囲であり、
その荒野ぶりに変わりはない。

 

アウトバックにはいったい何があるのか?

このアウトバック、地図にはそもそも道が極端に少ない。
舗装路で南北に縦貫しているものはステュアート・ハイウェイたった1本。

今、この現代の話だ

だからこそ、ある一部の特殊な人間たちには魅力的なのだ。
特殊な人間たちとは、
冒険家、
そして探検家

オーストラリアの探検史上もっとも有名な話が、
アラン・ムーアヘッドの「恐るべき空白」に描かれている。

1860年、内陸砂漠の縦断に初めて成功したバークとウィルズによる探検隊のノンフィクションだ。

ここにアウトバックの過酷さが余すことなく描かれている。
その環境を表現した印象的な部分を引用する。

それから6日というもの、ウィルズの日記には、ほんの数語が書きとめられているにすぎない。おそらくむりやりの強行軍の疲労のために、日記を書くだけの余力が残らなかったためだろう。一度でも雨さえ降ってくれたら、あるいは彼らは突破できたかもしれない。しかし待望の雨はついになく、彼らがたどってゆく前には、水のあるきざしどころか、一木一草もなく、ただ空虚な地平線がひろがるばかりだった。(「恐るべき空白」ハヤカワ文庫、木下秀夫訳)

彼のみすぼらしい姿は形容を絶していた。日に焼けて真黒になり、飢えと孤独に責めさいなまれて、半分ぐらいは気が変になっていた。ハウィットの手記—-「彼の姿は目をおおいたくなるほど、みじめなものだった。やせ衰えて影のようになり、まだわずかに身にまとっていたぼろぼろの衣服の残滓ともいうべきものがなかったならば、彼を文明人と認めるのは困難だったにちがいない。彼の体力は消耗の極に達しているように思われ、彼のいっていることが何だかわからないことがしばしばだった。・・・」(同)

探検隊はビタミン不足による壊血病になっている。
壊血病は後の極北や南極大陸などの探検隊にも出た症状だ。
つまり、アウトバックは極地にも匹敵する過酷さを内包しているといえるだろう。

それが、何不自由なく人々が生活している沿岸地域から陸続きで、
極端な言い方をすればほんの思いつきでも立ち入れるすぐそこに広がっているのだ。

 

ホンモノのアウトバックが体験できる

バークとウィルズらによる「恐るべき空白」の探検に前後して、
他に2つの成果のある探検がアウトバックで行われている。

そのひとつは現在ステュアート・ハイウェイとして名が残っているステュアート隊。

これら内陸砂漠探検は全て、オーストラリア南東部のヴィクトリア州(州都メルボルン)を起点として実行された。

ヴィクトリア州から北西方向のアウトバックへと向かったのだが、
現代では舗装路として北端まで縦貫しているステュアート・ハイウェイの他、
19世紀の探検が行われたこの一帯は数本のダートロードが拓かれている。

現在にあってもアウトバックの人口密度の低さが示すように、
今もその過酷な自然環境は何ら変わりはない。

果てしなく続く赤い荒野を旅すれば、
探検隊が目にしたであろう同じ風景が、そこに広がるのだ。

だが今は馬や歩き以外にも動力を使うという選択肢があるおかげで、
19世紀半ば当時よりずっとたやすくアウトバックを旅できるようになった。

内陸砂漠を貫くダートロードはトラックと呼ばれる。

単なる観光の旅では飽き足りず、
「恐るべき空白」の探検に熱くなってしまうタイプの、
冒険的な旅をしたいという挑戦的な旅人向けに、
これらトラックを詳しく取り上げたマップが作られている。

この手のマップの存在を知って、それを初めて入手したときの興奮は今もはっきり覚えている。

自分にも本物のアウトバックが体験できる

そう思わせてくれる生々しいまでの情報が示されていたからだ。

それを証明するために、そのひとつ、【ウードゥナダッタ・トラック】を紹介しよう。

ダート部分の距離は700㎞近く。
その間ガソリンなどが補給できるサービスステーションはたったの3カ所しかマークされていない。

Oodnadatta Track

その他にもご覧のように、点々と黒点がトラック沿いにあるが、
そのほとんどに「(ruin)」とある。
遺跡というと聞こえはいいが、要は廃墟といった方が実際の意味に近いだろう。
特に旅を容易にしてくれるようなサービスでもなく実益がない。

強いて言えば「現在地はどこか」の目印でしかない。

 

そして、アウトバックの旅を実現する

ウードゥナダッタ・トラックには、言ってみれば「特に何もない」。

「特に何もない」ところには何があるのか、
そしてそこで果たして何を見て、
自分が何を感じるのか。

そう考えると、
無性に行ってみたくならないだろうか。

マップにはGPS数値の他、トラックの道路状況も書かれている。

“Well maintained between Lyndhurst and Marree. Maintained between Marree and Oodnadatta but with occasional stony patches and some corrugations.”
(訳文)「Lyndhurst と Marree 間はよく整備されている。Marree – Oodnadatta間は整備されているものの場所により小石地帯やコルゲーションとなっているところがある。」

「よく整備されている」とは、
道が固く締まって走行しやすい状態であることを意味している。

実際に大型の特殊重機で地ならしをしている場合もある。

コルゲーションとは未舗装路に出現する、轍に洗濯板状に波打った凹凸ができる現象のこと。
車両の走行によるものだが、
ブレーキが関係しているのか、傾斜地やカーブでは発達しやすい。
オフロードでは深い砂地に次ぐ悪路としてストレスを与え、旅人を悩ませる。

トラックを旅する上で必要な情報をびっしりと含んだこのマップは、
4WDで旅をすることを前提にしている。

いまだ19世紀と同じ景色が広がっているとはいえ、
車で旅するなら探検当時と同じ風景を見ることはできないだろう。
なぜなら彼らの手段は馬や徒歩だったからだ。

手段が違えば見えるものも、感じるものも違ってくる

ただ、このマップの情報があれば、
今でも、徒歩や自転車でずっとリスクの低い旅を実現できる。

ほんのちょっとでも彼らの見たものを追体験できるかもしれないし、
誰が見たものとも違う、
あなただけの景色に出会えるはずだ

Oodnadatta Track【ウードゥナダッタ・トラック Oodnadatta Track】
JAN:9781875608010
ISBN:1-875608-01